CRIME OF LOVE 9
夜のベランダの中央に湧き上がるような白光の渦と、そこに映る丈高い人影。
「待って――!」
望美は光の中に飛び込んだ。知盛の体に思い切りしがみつく。
「……っ!」
知盛が息を呑み、破られた気に逆鱗の共鳴がやんだ。光が急速にしぼんでいく。
驚いた表情の知盛の手から、すかさず望美は逆鱗を奪い取った。距離を取って立ち、リーチの長い彼の不意打ちに備える。
「ごめん、これは返してもらうね。やっぱり私も一緒に行くことに決めたから」
知盛の顔からは、すでに最初の驚愕は払拭されている。突然の彼女の発言にも動揺した様子はない。だが嵐の前の暗鬱な空のような不穏極まりない声が、ゆっくりと地を這った。
「……何を言っている。馬鹿な真似はよせ」
一歩前に出た知盛に合わせ、望美は一歩下がる。ささやかな白い輝きを残した逆鱗と部屋からの照明で、知盛の瞳に冴えた紅(くれない)が差しているのが見えた。ひどく怒っているようだ。
こんな知盛は見たことがなかった。
知盛は不機嫌さを表に出すことはあっても、激しい怒りというものをあらわにしたことは、実はほとんどない。こちらに来てからは特に……。どれほど怒っていようと、人を食った顔で斜に構えてやりすごすか、気だるい無関心さで横を向くか、もしくは―――これは戦時限定だが―――顔色も変えず、ばっさりくるか。もっとも前ふたつについては、相手を小馬鹿にしたようなその態度が、対する者をよけい煽ることがままあったとはいえ。
確かにこの時も、手を上げるでもなく声を荒げるでもなく。しかし彼の全身から放たれているそれは、激情と呼ぶにふさわしい。抑えつけても抑えきれない怒りと……何か、ほかのもの。
だがそばにいるだけでこちらの神経が焼き切れそうな、剛の者でも逃げ出したくなるほどの恐ろしい迫力をものともせず、望美はにっこりした。いつもならさすがの彼女も多少はひるむところだが、今の望美に怖いものなどない。
「ほしければ力づくで奪う? でも簡単には渡さないから覚悟してね。それがいやなら私を一緒に連れてくしかないよ。足手まといかどうか、実地でためしてみてよ」
「駄目だと言っただろう。今さら話すことはない。逆鱗を俺に渡しておとなしく帰れ」
「帰らない」
「言うことを聞け」
「いや」
「……望美」
知盛はいらだったように彼女の名前を呼んだ。
「……なぜだ」
先ほど、あれほどなぜと彼に尋ねた望美に、今度は逆に知盛が問いかける。
「それはね、あなたは私のものだから。まだ、わかってなかったの?」
ぴくり、と知盛の眉が動いた。望美の真意を探ろうとしているかのように目を細める。
「……わからない。わかりたくもないな。おまえにふさわしいのはこの時空(とき)だ。戦いなどない世界で、穏やかに暮らしていけ。俺を勝手に行かせろ。おまえは俺とは……違う」
「私にふさわしいって、誰がそれを決めるの? あなた?」
望美の反論に知盛は意外そうに押し黙ったが、やがて冷静に諭すように口を開いた。
「おまえが……ふたたび戦いの場に立つ必要はない。ここなら穏やかに暮らせる。甘い夢も見ることができる。おまえは平和を望んでいた。戦いなどない世界で幸福になりたいと。
おまえのほしいものはすべてここにある、そうだろう? さっき一度はおまえも納得したはずだ。今になって何を惑う?」
望美は静かに首を横に振った。芯の強さをうかがわせる口調で告げた。
「私に何がふさわしいかは私が決める。何が私の幸せかも。甘いのはお菓子だけで十分だよ。
私にはわかったの、平和よりも安心できる暮らしよりも、ただあなたのそばにいることが私のたったひとつの望みだって。だから……戻ってきた」
後方からの明かりを背に、望美の体の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。影になった面の中で、手にした逆鱗の淡い光を受けて、命宿す宝珠のごとく生き生きときらめく瞳。あたりを吹き抜けた一陣の風が、長い髪を意志あるもののようになびかせた。
知盛は目をみはる思いで彼女を見つめた。初めて出会った時の、彼の魂にまで食い込むまでのいちずさと、ひたむきな欲望をよみがえらせようとしている美しい獣の姿を……。
「あなたに戦いが必要なら、戦いのある世界に帰ればいい。でもその横には必ず私がいるから……」
立ち尽くす知盛に近づき、望美はその頬に片手を伸ばした。うっとりした響きさえ交えて呼びかける。
「ねえ、私に綺麗なあなたを見せてよ。うんと欲張りでわがままな私を満足させるくらい、たくさんの綺麗なあなたを……?」